2.抽象的思考:価値観
2-1.人生観
自分に本質的な問いを投げかける
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2-1-8.死をどうとらえるか
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つぎは、生きるとは逆に死について考えます。
これまで命の意味と生きる意味を見てきました。
これを理解し、そもそも命は天から与えられたものと思い定めることができれば、生は自分でコントロールのできるものでないのと同様に、死も天から与えられるもので自分でコントロールできるものではないと理解できます。
そうすると、生死はともに天から与えらえるものであり、自分の制御の範疇にあるために、生死に頓着しないという発想になります。
これは、過度に死を遠ざけ思考停止になっているがゆえに、また飽食の時代で歴史的には生命維持という意味での生きることが簡単な時代であり生に対して考え感じることなく思考停止になっているがゆえに生死に頓着しない、とは全く別の次元の意味で生死に頓着しないということです。
生死と向き合い、きちんと考えた結果、天から与えられるものであるために、気にしても仕方がないということになるわけです。
実際に、1時間後に交通事故で死んでしまう可能性は誰しもが持っているわけで、現在生きているのは不運や悲運にたまたま当たっていないだけです。
したがって、生死は天のみぞ知るものであり、死ぬときは死ぬし死なないときは死なないと思い定めるべき。
そうなると、死を恐れることもなく、死ぬときは死ぬと思い定めることができ、生死を意識の外に置くことができるため、自分が思い定める生き方の軸に沿って、迷うことなく人生を歩むことができます。
本当の自分の思いや望みを知っているのに、そこに向かわず安定した今の自分を選ぶ人がいます。
自分自身と正面から向き合った結果としてであれば、実はどちらを選んでも正解なのです。
ただ、自分と向き合うことなく、本当の自分の思いを押し殺してしまったのならそれは正解ではありません。
その場合は、貧困になるかもしれない、くいっぱぐれてしまうかもしれない、といった不安が安全と安定を選ぶわけです。これらの不安の根源は死ぬかもしれないということです。
しかし、生死が天から与えられるものと知っていれば、死ぬときは死ぬし、死なないときは死なないと知っていれば、命など一つと思い定めることができれいれば、死以上の恐怖など存在しませんから、本当の自分の思いに従って人生を歩むことができるようになります。
生死を超えてはじめて本当の人生が始まる。 -
基盤とした名著:プラトン『ソクラテスの弁明』
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ソクラテスは死を悪や恐怖だと決めつけることは無知であるとしています。
死を経験した人がいない以上決めつけることはできないとしています。
分析するに、虚無もしくは天界への転生だとすればどちらも至上の幸福であり恐れることは何もないとしています。